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永遠にひびく愛のシンフォニー ―故バーンスタインを讃えて―(1990年)

関東地区ピアノ科指導者 川崎紫明

巨匠バーンスタインの突然の訃報に接し、悲しみの涙があふれてなりません。指揮者として、作曲家として無限の可能性を秘め、天体の音楽をもたらして下さった偉大なる芸術家バーンスタインの死を悼み、心から御冥福をお祈り申し上げます。

今夏札幌で開かれたパシフィック・ミュージック・フェスティバルのオープニングで、バーンスタインは「私は残りの人生を何処に音楽と人々に尽くすことが出来るか選択を迫られています。神はベートーベンのピアノ・ソナタ全部を弾き返すことをお与えになるでしょうか。それとも作曲家である事のみに専念すべきなのでしょうか。いつもこの問題について考えています。結論は残されたエネルギーと時間を『教育』に捧げ、とりわけ若い人たちと出来るだけそれを分かちあうことでした。分かち合うことが出来るものは何でも、私の知る限りの音楽や芸術一般について、さらに芸術だけでなく芸術と人生の関係について、そして一人の人間であることを自覚し、自分を見つめて己を知り、自分に最もふさわしい仕事につくこと…」と語っておられますが、こんなに急に他界されるとは、本当に惜しまれてなりません。熱心なユダヤ教信者の家庭に生まれ、アメリカで育ったバーンスタインは、その豊かな人間性をもって音楽の中に生き、人々に貢献されました。

私が初めてバーンスタインに接しましたのは一九八五年、イスラエル・フィルハーモニーと共に来日、大阪フェスティバルホールでマーラーの交響曲第九番を指揮されたコンサートでした。そのときの感激と興奮は言葉に表わしようがない程でした。二千数百名の魂をゆるがし、魅了しつくしました。弦の重厚な響き、包まれるようなやわらかな音は、身体中にしみ入るようでした。曲が終わった後も皆感動の余り拍手することも忘れ、我に返った時は、誰彼となく舞台の方ににじり寄っていました。われるような拍手に答えられたバーンスタインの姿は神々しく輝いていました。その日の演奏はオーケストラと指揮者が渾然一体となっていました。イスラエル・フィルにとっては、バーンスタインは「父」のような存在であったと聞きますが、基礎固めの苦難の時期、イスラエル・フィルに献身的な情熱をそそがれたそうです。そのような人間性が生み出す音楽のすばらしさに触れることが出来ました。

しなやかな身体からほとばしる生命の力。フォルティッシモの所では指揮台の上で高くとび上がったり、足をふみならしたり、右に左にそのダイナミックな動きの中から「ここはこのように―。もっと大胆に―」という言葉が、叫びが聞こえてくるように感じました。それらは綿密な譜読みによる自信によって、あのような情感を表現できるのだと伺いました。演奏が終わった時、楽員たちの中に入って行かれ抱擁し、共に成し遂げたよろこびを分かちあっておられる姿はとても印象的でした。バーンスタインは、オーケストラのメンバーに対して、「私が知っている事はすべて、私が音楽に対して感じることはすべて、団員たちと共有しています。私は団員たちが私と一緒に感じ理解し、それを共に具体化していけるように導こうと試みています。これは皆で音楽を作り出す室内楽のようなものです。向こうは向こう、私は私と絶対に考えません。指揮者にとっての喜びとは、私にとっては彼らと共に呼吸することです。愛の体験と同じようなものです」と語っておられます。(ペーター・グラデンヴィッツ著『レナード・バーンスタイン』より)

これはオーケストラの世界だけでなく、今の時代にあって、私たち教育の場にあっても家庭にあっても、人間として理想の姿ではないでしょうか。私の次女は現在東京芸大ハープ科に在学中ですが、このコンサートの日に帰阪し花束を差し上げ、生涯に残る感激となりました。若きアーティストたちに残された数々のメッセージ、また火花を散らし、崇高な魂を燃焼し尽くして生きられた偉大な足跡に心から感謝を捧げ、天上での御冥福をお祈りいたします。