夢のような日々(1992年)

ピアノ研究グループ講師 川崎紫明

鈴木先生との出会いは、私がそれまで長年求めていた音楽教育の理想との出会いでもありました。そして日々追求し続けるすばらしい人生を私の上にも開いて下さったのでした。当時の格調高い雰囲気の漂う才能教育会館での学びの日々は、今も新鮮にとみがえってまいります。

ドイツ留学

一九六六年二月、主人の留学先であったベルリンへ、三歳になる長女香子を連れて参りました。私もベルリン国立音楽大学に入学クラウゼ先生からピアノを学ぶ事となりました。今でこそ若い方たちは、どんどん留学されますが、その頃はふたたび日本の地が踏めるかどうか分からないというような大変な決心をして、日本を発ったことでした。最も大切だったグランドピアノを売って、片道の旅費が出来たのでした。

ドイツの地で見聞きしたものは、その当時の日本の音楽教育とは別世界でした。私の音大時代は、音楽というよりも音楽生活で、毎日六時間、八時間、楽譜をにらみながらの猛練習でした。楽しさとはほど遠いものでした。けれどもドイツで触れた音楽は、何と自由で、豊かで感情が身体中からにじみ出ているように伝わってくるのです。

ベルリン・フィルのコンサートなど毎週家族で通いました。街角の貧しい玉子売りのおばあさんが、前の席で美しいボンネットの帽子をかぶって座っておられるなど……とても身近かで、勿論チケットもとても安いものでした。演奏する方も聴衆も、心から音楽を愛している様子がホール一杯に感じられ、暖かい雰囲気に包まれるようでした。ある時、フィッシャー・ディースカウのリサイタルで、シューベルトの「冬の旅」を聞いている時でした。隣の席の男の方が、感動してむせび泣いておられるのです。びっくりしました。すばらしい音楽を聴くことの出来る耳、また受け入れられる魂に触れ、自分の貧弱さに気づかされた思いでした。ひびきわたる「冬の旅」を聴きながら、もっともっと深く音楽の道を究めたい――その夜は芸術への開眼でした。

スズキ・メソードとの出会い

帰国後、私のピアノ教育の上にも、音を通して心が伝えられるような指導をしたい、と日々研究模索して数年が経ちました。そして、ある日、スズキ・メソードに出会ったのでした。京都で片岡ハルコ先生が生徒さんをつれて公開レッスンをなさった時の事です。三歳の生徒さんが「キラキラ星」を弾かれたのですが、その折目正しいご挨拶、心こもったタッチ、しかもとても楽しそうでした。その可愛い姿に涙があふれました。こんな教育が日本でなされているのかと驚きでした。

師を求めて松本へ

二女かぐやが生まれ、二歳十カ月の頃、家族四人で松本市にある才能教育会館に、鈴木先生をお訪ねしました。鈴木先生は、腰をかがめて握手して下さり、「かぐやちゃんは、いくつになったの」とおっしゃいました。「もうすぐ三歳です。」「年をとりましたねえ。」私たちは、まだ三歳に満たないかぐやを連れて意気揚々と伺ったものですから、先生のお言葉にはびっくりしてしまいました。

その後間もなく、私の勉強もかねて、片岡ハルコ先生のクラスに入会させていただき、大阪から松本まで毎月一回通う事となりました。朝五時に起き、お昼前に松本に着きます。駅前通りの美味しいおでん屋さんでお昼をすませ、才能教育会館に向かいます。長旅の疲れで、レッスンの頃には、ねむってしまっていたりして、いつもコンディションが良いというわけではありませんでした。そんな折は、他の生徒さん(世界レベルで活躍されている東誠三さんなど)のレッスンを見学させていただいたりしました。

鈴木先生のレッスンは、先生のご研究の様子を手に取るように教えて下さいました。「私はこうしてクライスラー先生から学びました」とおっしゃって、ちょっと初めの方をレコードをかけて、先生がヴァイオリンをお弾きになる。またもどして、もう一回同じ個所を聴いてお弾きになる。弓をかるく、ひじを上げたり下ろしたりしながら、同じ音が出るまで、動作をしてみせて下さるのです。そんな先生にお触れしながら、才能教育の実態をこの目で見、学ばせていただく機会を得ました事は、今思えば夢のようです。ホールでのグループレッスンはいつも公開されていて、よく聴かせていただきました。

ピアノのレッスン

片岡ハルコ先生は、「最初はキラキラ星から、テンポ、リズムなど感度の良い指導が必要です。部分的に悪い所は徹底的に教えこむことが大切です」と三歳の幼児も一人前に扱って、真剣なやりとりをして下さいました。お昼前頃からレッスン室の前の廊下には、熱心なお母様方と生徒さんが列をつくって待っておられました。二人ずつ部屋に入ってご指導を受けるのですが、何かワクワクした雰囲気で、先生のお言葉が、とても子どもの心を魅きつけていたように思います。はじめは「かぐやちゃん」と語りかけておられても、熱が入ってくると「あなた!」とおっしゃって、ものすごい気迫でぐいぐいと引き上げてゆかれるのです。

クレメンティのソナチネが七カ月も出来上がらなくて、「こんな小さな子に、この曲は無理なのではないでしょうか」と先生に質問したことがりました。「お母様のその気持ちがこの結果なのですよ」とお叱りを受け、私の腹はすわると一ぺんに出来てしまった事が不思議でした。大阪から松本への旅は大変でしたが、小学校に上がるまでの大切な時期、驚くべきスピードで感性が磨かれていったのを、今にして思います。ある時、全然楽譜を見ないで、「ああ、もう終わっちゃった」などと、けろっとしているものですから心配になり、鈴木先生にご相談しましたところ、「耳が育ちすぎましたねえ。」先生と一緒に大笑いした事でした。

白熱した追求心

鈴木先生は、レセプションの席上でも、廊下やロビーででも、生命力について語ってやみません。「世の中のあらゆる真実は、きわめて簡単なものだ」というトルストイの言葉を折にふれて引用され、話されました。そこには物事の「本質」に迫る鋭い執念にも似た、白熱した追求心が火花を散らしている、と言っても過言ではない――と季刊誌でも語っておられますが、「なぜこうなるのか」「どうしてこうなるのか」――次々とわき出る先生のアイディアをお聞きしながら、帰りの列車はどこをどう乗り継いで帰ったのか、まるでうわの空のように興奮していたものです。

イタイヤ協奏曲

かぐやが小学二、三年の頃でしたか、「イタリヤ協奏曲」をコンサートで弾くことになっていましたのに、前日鉄棒から落ちて、左手をねんざしてしまったことがございました。コンサートの当日鈴木先生は、舞台のそでのところで、「ああ、これこそイタイヤ協奏曲だね。右手だけで弾きなさい」と、けろっとしておっしゃるのです。アナウンサーの方に、「次は、イタイヤ協奏曲です」と言って下さい、と言われました。かぐやは、たまげてしまって、猛スピードで雲がくれ。コンサートが終わるまで会場の一番上の人目につかない所にかくれていたそうです。鈴木先生は「かぐやちゃんは、どこに行ったかね」と探しまわってくださっていました。先生のユーモアの一端です。

どの子も育つ 育て方ひとつ

「載冠式」のコンチェルトをさせていただいて後、あるコンサートでハープを聴いてから、ハープのとりこになり、東京芸術大学附属音楽高等学校ハープ科に入学しました。現在同大学大学院修士課程に学び、ハーピストとしての道を歩んでいます。昨年は国際芸術連名新人賞を受賞いたしました。

スズキ・メソードを土壌として成長され、世界にはばたく演奏家が次々と輩出されている今日、私たち指導者の使命は大きいと思います。私は今ピアノ指導のかたわら、「母と子の音楽サロン」を通して、二歳児からのグループレッスンをしていますが、日ごとに成長してゆく子どもたちを見て驚いています。「どの子も育つ、育て方ひとつ」を信じ、実践して、鈴木先生のご足跡を一歩ずつ歩んでゆきたいと念願しております。

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