イスラエル・フィルと共に(1983年)

ピアノ研究グループ講師 川崎紫明

幻のオーケストラと言われ、全国音楽ファンの待望の的であったイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団が、指揮者ズービン・メータと共に二十五年ぶりに来日、三月七日の東京公演を皮切りに九回のエネルギッシュな演奏日程の中、嵐のように大きな感動の渦を残して去ってゆかれました。

私は二度にわたる聖地巡礼を通し、魂のふるさとのようにも慕わしいイスラエルの方々との再会を待ちに待っていただけに、本当にうれしい十日間でした。主人のクラリネットの恩師ヤコブ・バルネア先生もメンバーに加わっていらっしゃり、涙の再開が持てたことも感動でした。

私は京都・東京・大阪二回、計四回のコンサートを聴くことが出来、夜もねむれないほどの興奮の日々でした。A・B・Cのプログラム全部を聴くことが出来ましたが、特に大阪フェスティバルホールでのストラビンスキーの「春の祭典」とザ・シンフォニーホールでのマーラーの交響曲第五番の演奏は非常な熱演で、オーケストラと聴衆の熱い魂の交流を覚え、民衆も宗教も全ての違いを超えた崇高な世界に吸いこまれるような一時でした。

大阪での最終公演では、アンコールの拍手が鳴りやまず、三回目のアンコールに答えてイスラエル国歌「ハティクバ」が演奏されました。私はとめどなく流れ出る涙をどうすることも出来ませんでした。イスラエルの迫害の歴史が、強い魂となって音楽にほとばしり出ているようでした。全聴衆が起立したまま、楽団員がステージから姿を消してゆかれる間中、熱烈な拍手がつづき、しばしの時を忘れました。

コンサートの合間をぬって三月十四日夜、イスラエル・フィルに同行された映画班のロケ隊が私宅を訪ねてこられました。娘の香子がエルサレム・ルービン音楽アカデミアに留学中ですが、プロデューサーであるアミーナ女史が、イスラエル・フィル日本公演の映画製作にあたり、香子の両親を訪ねて日イ親善のかけ橋として友愛関係をぜひフィルムに綴りたい、との意向でした。スタッフ七名の方々と通訳の阿部さんをおむかえし、世界を一つに結ぶ音楽の役割・使命を強く覚えたことでした。

翌十五日、十二時半から四時半まで、イスラエル・フィルのピアニスト、ルート・メンゼ・コーヘンさんをむかえ、ロケーションが行われました。昨年イスラエルの現代作曲家の作品を集めて、主人がクラリネット・リサイタルを催しましたが、そのプログラムを見てルートさんはとてもよろこんで下さいました。数多くの作品を持っているから、ぜひ日本に紹介してほしい、と熱い心を語れました。

ウェーバーの「クラリネットとピアノのための協奏二重奏曲」を三人で演奏いたしました。二台のピアノでブッツケ本番でしたので最初はどうなることかと案じましたが、初めての出合いとは思えないほど息の合った演奏が出来たことは、本当に不思議でした。ルートさんも「ブラボー、ブラボー」と言って、とても満足して下さり、よろこびをかくしきれないご様子でした。音楽には国境がない、としみじみ思いました。折しもやわらかい西日差す窓辺で、天国の絵巻物を見るような、夢見る一時でありました。

二年前、私がルービン音楽アカデミアでスズキ・メソードの講演とピアノの公開レッスンをさせていただいたことがございましたが、その後の反響も大きく、昨夏コーヘン学長が来日され、才能教育の本部を訪問されました。鈴木先生ご夫婦と親しくお話しの時がもたれ、生徒さんたちのウェルカム・コンサートには驚き、感激され、「これはぜひ全イスラエルにひろめたい。小さな子どもたちが今のように手ばなしの状態ではもったいない」と、非常な熱意と希望をもって帰国されたことでした。

アミーナ女史もスズキ・メソードに関心をよせられ、今回ロケーションの一部に生徒たちの公開レッスンの模様をくりこまれました。三歳児のモミジのような手で弾く「キラキラ星変奏曲」には、びっくりされました。思わぬハプニングに大よろこびされました。最後に床の間・琴・日本人形などと、イスラエルのメノラー・壁かけ・人形などとを組み合わせ撮影されるカメラマンの方々の心に、深い愛と平和への祈りを感じ、目に見えない所で黙々と働いておられる偉大な人間像をきざみ込まれた思いがいたしました。私たちの人生の恩師、手島郁郎先生の写真を大きくクローズアップして最後を結ばれましたが、私たち一人一人の存在が、やがて世界の救いにつながるのではないか、と平和を祈らずにおれません。

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